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英語教育の歴史

大阪の適塾で確立されたオランダ語教授法は、その後の英語学習教育のメソッドとして継承されたという指摘もある。

開国に伴い、学者の研究対象も「蘭学」から、英学などを含む幅広い「洋学」へシフトして行った。江戸幕府の洋学教育研究機関として「洋書調所」、その後継となる「開成所」が設置され、後述の森有礼らが学んだ。

アメリカ人のラナルド・マクドナルド(1824年 - 1894年)は、日本初の母語話者の英語教師といわれる。

1873年には、官立外国語学校の一番手として旧東京外国語学校(現・東京外国語大学)が設立された。同年には長崎に、漢学と英語の両方を学べる私学「瓊林学館」も開設された。

1886年の第一次「小学校令」期(森文政期)には、英語教育が推進された。森有礼は、国語外国語化論も唱えた[注 2]。このような極端な欧化主義は右派の反感を買い、のちに森は暗殺されることになる。森の死後は急進的な英語教育は縮小され、小学校における外国語教育は高等小学校(現在の小学校高学年~中学校にあたる)のみに限定されることになったという。

1924年の排日移民法施行にともない、反米感情も含め、英語存廃論が世論に出た。

1950年9月には、日本英語教育協会(2009年に日本英語検定協会と合併して解散)が設立された。

2011年度から小学5・6年生で英語が必修化した。文部科学省は小4以下での必修化も検討している。



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